著者はハーバードのエズラ・F・ヴォーゲル研究助手を務めていたことがある。
ヴォーゲルの『現代中国の父 鄧小平』や新著『日中関係史』を訳されていたので知っていた
し、それらの「あとがき」などで度々名前が挙がっていたので把握している。現在は九州大学
大学院比較社会文化研究院准教授。専門は東アジア国際関係、および現代中国の対外政策。
そんな著者が、「中国の対外行動がどのように決まるかについては、日本であまり真剣に議論
されてこなかった」などとして一般向けに著されのが本書。なので軽妙な筆致で読み応えは無
いが、逆に理路整然としているので理解しやすい。著者はその能力に長けていると感じる。
九州出身で大陸との距離感や眼差しなども独特なものを有している。それに関しては、予想以
上に読み応えのある「あとがき」の中で書かれている。九州人の気概も勝手に感じた。
本書では、「現代中国の世界観」から「中国人を規定する伝統的家族観」、それらを踏まえた
上での毛沢東、鄧小平から習近平の統治体制、先走る地方政府の代表としての広西チワン族自
治区の21世紀、「一帯一路」、国家海洋局の組織史とその盛衰、などが論じられている。
個人的には、現代中国に関してはお腹がいっぱいなのだが、以下簡単に列挙したい。
まず、読み進めていく上で重要な観点は、現代中国の奇妙な世界観や特異な組織構造を序盤で
展開されていること。これらのことは以後の章を論じる上でも脈々と貫かれている。
大方の人も認識しているだろうが、著者によれば、中国の世界観は基本的に現状への恐怖で満
ちあふれていて、平和で安定した状態は現在ではなく、未来に達成されると考えていると指摘
する。そして、この世界観は具体的には三つの要素で構成されている。
①中華帝国の喪失感
②強烈なリアリズム
③中国共産党内の組織慣習
それぞれ歴史的な経緯から説き起こされているが簡単に説明すると、①中華帝国の喪失感に関
しては、「中国歴代王朝」「朝貢/冊封体制の構造」「列強による帝国システムの解体」に言
及し、東アジアでは、中華帝国を中心に2000年も続いてきた階層的、重層的な国際秩序が、
列強の圧力であっという間に解体され、新たな秩序に組み変わった。この秩序転換は相当乱暴
だったため、中国にとってはきわめて不可解な、大きな不満の残る結果となった。
今日、中国をめぐる民族問題、領土問題の多くは、当時の荒治療の後遺症という側面が大き
く、中国が自国の辺境地域についてなんらかの権利を主張したとき、それをなんでも中華思想
と決めつけるのは、フェアな議論ではない、と著者は指摘する。中華帝国が復活すべきと唱え
る中国人はまずいないということも指摘し、彼らの不満は、自分たちの間では主権平等を掲げ
た欧米列強(日本)が、アジア人であった中国を不平等に扱って侵略し、中国人に「百年の国
恥」を舐めさせたという点に集約する。なので中国にとって内政不干渉は絶対的原則であり、
多くの中国人はかつての列強のような行動を諸外国に二度と許してはならない、と固く信じて
いる。これらのことを踏まえれば、中華思想による対外拡張は、この原則と完全に逆行する、
ということを指摘している。逆に中華帝国の歴史から影響が指摘できるのは、中国人の間で道
徳的な優位性や文化の力によって世界からリスペクトされたいという願望が強い点、などを挙
げている。
②強烈なリアリズムの説明では、リアリズムの祖であるホップスを取り上げて中国のリアリズ
ムを説明している。
中国のリアリズムは西側のそれと少し異なり、国際関係論が理論的な普遍性を追求してきたの
に対し、中国のリアリズムははるかに人間的な要素が強く、権謀術数の渦巻く場所として世界
を描く傾向にある。
人間社会の普遍性を問う西側のリアリズムと比較すると、中国のそれはより人間くさく個人的
で、しばしば善悪の価値判断を伴う。中国人の参照体系は、三国志に代表されるような、巨大
国家の統一に向けた英雄的物語。どこもそうだが、中国では歴史は通常、勝者によって書かれ
るものであり、自分は善、敵は悪という前提が強調される傾向が強い。
中国人にとって、すべての人間にとってのサバイバルの重要性は当たり前すぎるし、むしろ天
下統一を実現しようとする戦略家は、その次の高みに立って物事を考える。自国を奇策によっ
て陥れよう、呑み込もうという強大な敵の陰謀を巧みに察知しながら、時代の大きな潮流を読
み、敵の裏をかいて、自国の努力を拡大していかねばならいと考える。
このような世界観では、「国家」の枠自体が重層的かつ流動的なので、ホップスの想定とは異
なり、自国内でも安堵できる空間はない。これらのことは岡田英弘氏の指摘とも一致する。
③中国共産党内の組織慣習を大雑把に取り上げると、中国共産党は今日でも、唯物史観を原型
として、時代を段階的に発展していくものとして描こうとする傾向がある。中国共産党は中国
革命の達成に向け、その時代の潮流と特性を読み込み、主要矛盾を特定してそれを克服する戦
略を練る作業を重要な任務とした。その中で、時代の潮流に背き、自分たちに脅威を与える最
強の存在を「主要敵」と位置付けた。そして自分たちを、諸勢力と連合し、政治経済の力を結
集して「主要敵」に対抗することで、新しい時代を切り開く前衛的な存在と見なした。
三つに共通するのは、中国では外部からの脅威が実際より強調される傾向があり、中国人は常
に強い不安感、不満足感を抱えていること。より強い存在からとって喰われるかもしれない恐
怖が、中国人の間にかなり蔓延していること。
著者のオリジナルな理論を展開しているのは、中国共産党の国内統治の特徴と構造を捉えるた
め、歴史人口学者エマニュエル・トッドのデビュー作である『第三惑星』を踏襲していること
である。トッドは家族という視点から人類社会のあり方を理解しようとしてきた。著者はそれ
らを駆使して中国共産党の組織形態に分け入る。賛否両論あると思うが、個人的には面白かっ
たし、時にはこういった論点も必要だろうと思う。著者には学者らしからぬ柔軟性を有してい
る。簡単に説明するなら、トッドは家族の形を4つに大別した。
①親子関係が自由で兄弟関係が不平等な「絶対核家族」
②自由で平等な「平等主義核家族」
③権威的で不平等な「権威主義家族」
④権威的で平等な「共同体家族」
「権威主義家族」は「直系家族」、「共同体家族」は「家父長制」などとも呼ばれている。
日本や朝鮮半島は権威主義家族に、イングランドやオランダなどは絶対核家族、フランス北部
などは平等主義核家族、中国やロシアなどは共同体家族。
さらにトッドは、近親婚(主としていとこ婚)のタブーがどの程度許容されるかに着目し、共同
体を3つに分ける。いとこ同士の結婚が許されない場合は「外婚制共同体家族」、許されたり
好まれたりする場合は「内婚制共同体家族」(アラブなど)。それ以外に、兄妹もしくは姉弟の
子ども同士の結婚のみが許容される、非対称な「中間形態型共同体家族」(インド南部など)な
どがある。近親相姦を厳しく禁じる中国は「外婚制共同体家族」の形態をとる。のちにトッド
は結婚における男女の違いに着目し、これを「父方居住共同体家族」とも呼んだ。
中国が該当する外婚制共同体家族では、父親は家族に対して強い権威を持つ。他方、相続で
は、男兄弟は平等な扱いを受け、1人の息子(日本では長男)が家全体の財産を受け継ぐことはな
い。息子たちは結婚後も両親と同居し、家族は父の強い権威の下に、横に大きく広がる共同体
となる。しかし、その中で、兄弟の子ども同士が結婚することはなく、新たな配偶者は常に共
同体の外からやってくる。
トッドによれば、これらの形態はいずれも共産主義革命が成功した地域か、共産党が大きな政
治勢力を持った地域であった。ロシア、ユーゴスラビア、スロバキア、ブルガリア、ハンガリ
ー、フィンランド、アルバニア、イタリア中部、中国、ベトナム、キューバ、インド北部な
ど。トッドは外婚制共同体家族をとってきた地域で共産党への支持率が高いことを、豊富な統
計データで実証してもいるという。中国の外婚制共同体家族の歴史はきわめて長く、2000年
の歴史を持つという。
このような観点から中国の社会秩序の特徴をめとめているのだが、それには4つの特徴があ
る。
①権威が最高指導者に一点集中する。
②中国では組織内分業について、ボスが独断で決める。
③日本の組織では横のつながりが多く、その間の連携は容易だが、中国では同じレベルの部署
同士は上の指示がない限り連絡をとらず、助け合わない。同列の部署同士は、ひいてはボスの
歓心を買うための対立や競争の関係にある。
④最も重要な点としているが、組織全体として、日本ではその凝集力や運営方法が時期を問わ
ずほぼ安定している。しかし中国では、トップの寿命や時々の考え方によって波が生じる。そ
の下にいる人々は、トップの下で「いまがどういう潮目の時期か」を常に熱心に読みとろうと
し、どんなことをしてでも潮流に乗ろうとする。
中国の組織の運営方法は、明示化されたルールではなく、家父長を頂点とする組織のその時の
状況によって、きわめて流動的に決まる。そのため所属メンバーは、いつも緊張感をもってそ
の行方を見守っている。
しかし、トッドはこの外婚制共同体家族制の構造をとても不安定なものと捉えた。
外婚制共同体家族制の構造は、父と息子たちによる一対一の関係の集合で成り立つ。父の強い
権威で息子たちが成人し結婚した後もその家族を従わせている。父の強い権限なしには、この
共同体は集合体としてまとまらない。トッドはこの制度化での危険性を2つ挙げている。
①息子たちが同盟して唯一の権力者の父親を排除する「神殺し」「父殺し」のリスク。
②権威を持つ父親が死去し、世代交代が行われる時、共同体は解体の可能性にさらされる。
父と息子の二元構造をとる外婚制共同体家族制は、構造的には単純だが、共同体に留まる家人
への束縛が強く、多くの場合、個人は組織に頼って持続的に生活を営み続けられるだけの経済
的メリットもない。メンバーにとってデメリットの方が目立ちやすく、その構造を維持してい
くこと自体が組織の命題になりやすい。
共同体を維持している間でも特色があり、その問題点を3つ挙げている。
①家父長一人が組織をまとめる力を担うため、組織が家父長の寿命や健康状態、または気分や
考え方の変化といった属人的要素に支配されやすく、長期的な見通しが立てにくい。他方でフ
ットワークが軽く短期的な成果は上げやすい。
②家父長自らが組織強化を望み、共同体家族をしっかりとまとめあげようとすれば、家人はそ
の意向に対してイエスまんにならざるを得ない。
③家父長が期待された役割を果たさず、家人を統制できかなかった場合の問題もある。
すでに成人している息子たちは、抑圧されてきた過去を補い、自分がトップを担う次の時代に
備えるために、こっそり蓄財してそれぞれが独立の経済基盤を固めていこうとする。
共同体の指導者は、メンバーにはアメとムチを使って服従のメリットを目に見える形で示し、
彼らのメンタリティを総合的にコントロールし続けなければならず、こうした組織を動かそう
とすれば、常に大きな緊張感が要求される。
これが中国の共同体の統治の基本形であり、党中央という家父長の下に、党と軍と国の多数の
息子たちが並列する構図になる。息子は父親から与えられたそれぞれの任務を意識し、その貫
徹のため全国に散らばっている。息子たちはまた、それぞれにさらに多くの息子たちを使って
組織を動かしている。
党中央が息子たちに与えた任務は多様であるが、だが、父に目をかけてもらえるように、しか
し同時に次の時代に備えて自分に有利なように動こうという息子たちのゲームのルールは、中
国全土で共通。父はそれを理解し、息子たちの心理を巧みに利用しながら、全体を統制しよう
とする。その掛け合いが、指導者のバイオリズムや考え方の変化と絡み合いながら、中国の対
外行動に独特の波動をもたらしていると指摘する。
端折って説明したがこれらを踏まえた上で、毛沢東以降の統治体制が論じてられている。
毛沢東時代の中国の政治史は、中国の最高指導者となった毛沢東が、トッドのいう「神殺し」
「父殺し」を避けようとして政治闘争を発動する繰り返しだった。毛沢東は個人崇拝の強化と
権力の集中化に励む一方、自分に挑戦しうる指導者を「修正主義」の名目で次々と排除してい
った。
筋金入りの共産主義者だった鄧小平の市場経済導入は、あくまで党を守るため、具体的には壊
滅的な状態にあった人民の党への支持を回復するためだった。鄧小平にとって経済は政治に隷
属するものであり、党の統治継続のツールが市場経済だった。計画経済はうまくいかず、人々
が中国共産党に希望を抱けないのであれば、政治体制は変えずに経済統制だけ入れ替えればよ
い、と考えた。これはいわば、人々に中国共産党への「父殺し」を発動させないための究極の
策だった。側から眺めると鄧小平の採用した体制は「キメラ体制」に映るが、中国国内では不
自然と思われていない。
計画経済で人々の生活が向上しないことは明らかだったし、中国に皇帝の強い政治的権威の
下、比較的自由に商工業が発達した歴史もあった。
「統治の鄧小平方式」採用以降の指導者は、市場経済型の競争制度を政治の場にも適用し、さ
まざまな問題の決定値を息子たちに移譲し、持ち場での活躍を競わせて、全体を活性化させつ
つ統制していこうとした。息子たちは、果たして生き残れるのかという恐怖にさらされなが
ら、激烈な競争に参入していった。このような構図から江沢民、胡錦濤、習近平の凝集力の変
化が論じられている。さらには広西チワン族自治区政府の例を取り上げる。
21世紀初頭、南寧は目立たない地方都市に過ぎなかったが、2003年に中国ASEAN博覧会の永
久開催に指名されてから国内外の投資が集まり、急速に発展する。その機会は偶然にもたらさ
れたものではなく、国内の厳しい政治競争の中で、広西チワン族自治区政府がチャンスを必死
に掴み取り、主体的にASEAN−中国自由貿易圏(ACFTA)の「旗振り役」となって奮闘した結果
であった。
この熾烈な競争の舞台は、地方の経済社会の狭い領域にとどまらず、地方政府が親(党中央)の
関心や意向を「忖度」し、親の好みを探りながら自分の行動を決めた。地方政府は、自分が高
く評価されるために他国の人々を積極的に巻き込み、自分たちの行動が世界的潮流にかなうこ
とを親にアピールして、中国国内の政治ゲームを有利に戦った。
このような広西政府の動きは、中国の国内政治がその対外行動にもたらすインパクトの大きさ
を如実に示すものだと著者は指摘する。さらに著者のオリジナルな議論を展開しているのは、
広西チワン族自治区の成功例は、習近平政権の「一帯一路」構想に影響を与えたのではないか
と推測されていることだ。「親→子」の流れではなく「子→親」の事例であり、具体的に書か
ないが、広西チワン族自治区の発展戦略が「一帯一路」と似通っているかを具体的に示してい
る。国家海洋局の意向や盛衰もこのような構図から説いているが、著者は大きな枠組みとし
て、国家海洋局が中国のナショナリズム、特に反日感情を巧みに利用し、積極的に党中央の対
日政策のツールとなることで、政治的な地位を急上昇させた。それが2007年頃から中国の海を
めぐっての緊張が高まった原因だったと考えている。
国家海洋局の積極的な行動は、結果として、海をめぐる中国の外部環境を極度に悪化させ、海
洋問題と外交問題のアンバランスを意識した指導部は、海洋権益擁護の重要性を認め、南シナ
海で7島礁の埋め立てを実施しながらも、国際社会で中国の建設的イメージを取り戻そうとす
る。その代表例が「一帯一路」であったと。さらに習近平は海洋問題の重要性を認めるがゆえ
に、自分の目がより届きやすい中央軍事委員会に中国海警局の指揮権を置き、国家海洋局を解
体して、一組織の決断で中国全体が流されることのないよう予防策をとったと著者は見てい
る。この章では、中国国内政治における国家海洋局の位置づけの変化から、中国の海上行動の
変容を考察している。これも著者ならではの洞察である。
本書全体に貫かれている見方は、中国の対外行動を捉えるときに理解しやすいのは、中国が外
婚制共同体家族に根付いた社会秩序を持ち、家父長、つまり最高指導者の国内凝集力をバロメ
ータとして、一定のサイクルで変化する社会だ、と考えていくこと。内藤湖南の「支那は存外
輿論の国である。支那は国の制度の上からいうと、無限の君主独裁の国である。それと同時
に支那は非常な輿論の国である」という言葉も思い出す。
先述したように異論もあるかもしれないが、思い切ってこのような論を組み立てた著者は面白
い。何かと喧しい隣人である中国ではあるが、本書は静かで柔らかい筆致で描かれているの
で、現代中国の入門としては最適。
COVID-19の対応で世界から顰蹙を買った中国。地経学(ルトワックが90年代に提唱)によるア
メリカからの制裁にあたふたしている中国。ポンペオ国務長官の演説も刺さった中国。
最近、政府が漁師に対して「尖閣諸島からは離れて操業するよう」指示を出した中国。
中国に関してはルトワックが言うように、「異変」「歴史のターニングポイント」の変化のサ
インを見逃さないよう注視したい。ちなみにルトワックも「中国の外交問題は内政問題」だと
指摘している。これは岡田英弘氏もそうだ。
どこの国でも言われることだが、外交は内政の延長である。
しかし、中国の場合はそれがさらに極端で、外交は”内政そのもの”であると言ってよい。
『現代中国の見方』岡田英弘