現代世界の病である「内戦」を考察・分析した好著 |『内戦と和平-現代戦争をどう終わらせるか』東 大作


著者の東大作(ひがし・だいさく)氏は、大学を卒業後にNHKのディレクターを務め、クローズ

アップ現代やNHKスペシャルの企画・制作を担当した。手掛けたり関わったりしたのは、

「我々はなぜ戦争をしたのか~ベトナム戦争・敵との対話」(放送文化基金賞)、「縛られな

い老後~ある介護病棟の挑戦」、「犯罪被害者なぜ救われないのか」、「憎しみの連鎖はどこ

まで続くか~パレスチナとイスラエル」、「核危機回避への苦闘~韓国、米朝の狭間で」、

「イラク復興 国連の苦闘」(世界国連記者協会銀賞)等である。

その後の二〇〇四年-二〇〇九年には思いきって、カナダのブリテイッシュコロンビア大学に

留学し政治学科でMAとPhD。二〇〇八年にはアフガニスタンと東チモールで現地調査を行い、

その報告書は国連PKO局から出版され、提案したアフガンでの和解プログラムは実現に至った

という。

留学する直前には、国連難民高等弁務官、国際協力機構(JICA)理事長を務めた緒方貞子氏とは

じめてお会いし、励ましの言葉をかけられている。緒方氏とはそれ以来、著者が帰国するたび

に一時間は時間を取り、調査について助言している。

さらに著者は、二〇〇八年のアフガニスタンと東ティモールの現地調査を基に、緒方氏にもイ

ンタビューをしている。二〇〇九年に『平和構築』という本を出版した際には、緒方氏がその

本を外務省の幹部など多くの人に手渡している。

そのことについて著者曰く「自分の政策提言の実現にとってどれだけ大きな力になったか計り

知れない」と本書で記している。緒方氏と最後にお会いしたのは、二〇一七年に著者が編著者

となって『人間の安全保障と平和構築』を出版した時であり、その本を持って挨拶に行ったの

が、お目にかかった最後の機会になったという。

緒方氏はそのシンポジウムで冒頭のあいさつをし、本にも「序文」を寄せている。

緒方貞子氏は二〇一九年一〇月二二日に亡くなった。九二歳だった。


緒方貞子(1927年-2019年/独立行政法人国際協力機構理事長、国連人権委員会日本政府代表、日本人初の国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表を歴任した)

その後の著者は、2009年12月から2010年12月まで、カブールで国連アフガニスタン支援ミ

ッションに勤務、和解・再統合チームリーダーを務める。2012年8月から2014年8月までは、

東京大学と外務省の人事交流により、ニューヨークの国連日本政府代表部の公使参事官として

勤務。2018年より、外務大臣の委嘱による公務派遣で、イラクや南スーダンにも度々訪問

し、現地での講演や、現地指導者との意見交換などを通じて平和構築に関する知的貢献を行っ

ている。その行動力には驚かされる。

2016年4月に上智大学グローバル教育センター(上智大学国際関係研究所兼務)に着任し、

現在は、上智大学国際協力人材育成センター副所長も務めているという。

著者の経歴や活動内容に関しては本書にも簡潔に記されているが、研究者を調べられる

researchmapのサイトでも詳しく紹介されている。

刊行されている著作と東大作(ひがし・だいさく)氏

真相の程はともかく、ある本によれば「有史以来、人類が戦っていなかったのは、合計すると

六年間しかない」と指摘されているのを読んだことがある。

「六年間」というのは誇張された数字なのかもしれないが、有史以来、戦争に次ぐ戦争を繰り

返したきたのが人類であるということは間違っていないだろう。徳川二六〇年の平和は例外。

著者も本書の「はしがき」の中で、「戦争は人類の業であり、それを完全に克服することはで

きないのかもしれない」と書いている。しかし、そのあと続けて「それでも我々は、少しでも

その犠牲を少なくするための努力を続けなければならない」と記している。

そしてその流れの中で、国際政治学者であった高坂正堯氏の主著である『国際政治』の締めく

くりの言葉を紹介している。「戦争はおそらく不治の病であるかもしれない。しかし、われわ

れはそれを治療するために努力し続けなくてはならないのである。つまり、われわれは懐疑的

にならざるをえないが、絶望してはならない。それは医師と外交官と、そして人間のつとめな

のである」。

高坂氏が指摘する「不治の病」の「治療するために努力」を重ね、「人間のつとめ」を果たし

ているのが著者である。尚且つ、緒方氏の精神を引き継ぎ体現しているのだと本書を読み終え

て感じたことだった。

上から順に、シリアの内戦、南スーダンの内戦、イエメンの内戦

現代世界でも戦争が続いている。幸いなことに大国間での戦争は減少したかもしれないが、最

悪なことにそのほとんどが「内戦」という形で噴出している。シリア、イエメン、アフガニス

タン、ソマリア、マリ、コンゴ民主共和国、南スーダンなどである(本書では、南スーダン、ア

フガニスタン、シリア、イラク、カンボジア、東ティモール、コロンビアの事例を取り上げて

いる)。

スウェーデンのウプサラ大学が発表する「ウプサラ紛争データ」(著者は現代の戦争・紛争状況

について最も信頼の足るデータの一つと指摘している)によれば、現代の戦争の九五パーセント

以上が、国家対国家の戦争ではなく、「内戦」であると示しているという。

さらにウプサラ紛争データは、年間二五人以上が戦闘で亡くなっている事態を「軍事紛争」と

定義し、二〇一八年に行われた軍事紛争五二件のうち、国家対国家の戦争はインド対パキスタ

ン、イラン対イスラエルのわずか二件であり、それ以外は全て内戦であることを示している。

そのような紛争によって、毎年一〇万人前後の人々が命を落とし、戦火を逃れて、七〇〇〇万

人以上の人が自らの家を追われ、国内での避難生活や周辺国やヨーロッパでの難民生活を余儀

なくされている。これだけの数の難民が発生するのは、第二次世界大戦以降、人類にとって初

めての最悪の経験をしている。

本書の第一章では、南スーダンでの内戦の凄惨な実態を活写する。続く前半の第二章では、日

本ではあまり言及されることが少ない、内戦とは何かをデータと理論を用いてその具体的な構

造を丁寧に示している。中盤の第三章では、南スーダンとアフガニスタンを例に紛争下の和平

調停の難しさを分析、第四章では、和平調停におけるもう一つの課題である「誰が調停を担う

のか」という問題を検討し、グルーバルな大国や紛争の周辺国に求められる役割と責任を明ら

かにする。

終盤の第五章では、国連の平和活動の可能性と課題についてを語り、最終章の第六章では、戦

後七〇年かけて平和国家としての信頼を勝ち取ってきた日本について語り、和平に向けた対話

の促進者(グローバル・ファシリテーター)としての役割を担えるということを主張している。

著者は現場に足繁く通われている。南スーダンやアフガニスタン、河野太郎外務大臣の委嘱に

よる公務派遣でイラクなどの紛争地域、シリアから逃れているシリア難民の声に傾けたいと考

えレバノン、内戦が治まった後の東ティモール、などである。各地で政治家たちにインタビュ

ーを行い、国連や外務省の高官とも親しい。それが著者ならではの業績である。

先にも書いたがアフガンの国連政務官として勤務をしたこともあり、その時の上司がデミツラ

国連アフガン特使だった。デミツラ氏は叩き上げの国連職員であり、国連の一番したのランク

から採用され、四〇年以上国連組織に勤務し、二〇以上の紛争地で勤務してきた経験を持つ人

物だ。

スタファン・デミツラ(Staffan de Mistura-スタファン・デ・ミストゥラとも表記されている)

各章も刺激的でとても参考になるのだが、特に瞠目しまた刮目させられたのは、日本ではあま

り語られない第二章の内戦とは何かを提示している章と、最終章の今までの日本の取り組み

と、今後の日本の行く道を明確に示されている章だ。

以下は長くなるので第二章をメインにし、最終章は少し触れるだけになる。

現代の重い病とは内戦である。それは先程も書いたし、「ウプサラ紛争データ」も紹介した。

その「ウプサラ紛争データ」によれば、二〇一八年に起きた軍事紛争の五二件のうち実に五〇

件が、政府側と反政府勢力が、権力の掌握を巡って戦闘を行なっている「内戦」を示してい

る。具体的なデータを見なくても国際社会を観察していれば理解できる。

さらに「ウプサラ紛争データ」によれば、一九四八年から二〇一八年の軍事紛争を四つのタイ

プに分けて表示しているが、中でも「純粋な内戦」と「内戦をきっかけに始まったものの、後

に外国の部隊が軍事的に介入し国際化したもの」が、第二次世界大戦以降増え続けいている。

内戦には二つのタイプがあることを示している。

2017年から第9代国連事務総長を務めるアントニオ・グテーレス

そして現代世界には、この「国際化した内戦」が飛躍的に増えている。

それまで年に七件から八件であった国際化した内戦は、二〇一七年以降、二〇件前後で極めて

高い水準を維持している。二〇一八年に起きている五〇件の内戦のうち、一八件が「国際化し

た内戦」とされている。

二〇一八年一月、グテーレス国連事務総長は、「平和構築と平和の持続」と題するレポートを

発表している。

このレポートの中でグテーレス事務総長は、「持続的な平和」(Sustaining Peace)という新た

な概念を提示し、軍事紛争を巡る三つの段階における国連の関与を明確化したという。

①軍事紛争が実際に始まる前の段階で、外交的な努力や仲介をすることでそれを未然に防ぐ

「紛争予防」(Confict Prevention)。

②実際に軍事衝突が始まってしまった後、外交的な調停や仲介で、和平合意を実現を目指す

「和平交渉」(Peace Negotiation)。

③和平合意によって戦闘が停止された後、統治機構や国家の再建などを通じて、持続的な平和

を築く、「平和構築」(Peacebuilding)。

ご存知の通り国連は冷戦終結以降、カンボジア、東ティモール、シエラレオネ、ブルンジ、コ

ンゴ民主共和国、マリ、中央アフリカ、南スーダンなど多くの国で、国連PKO活動を伴う形で

の「平和構築」の活動を続けてきた。

グテーレス事務総長は、この三つの段階全てにおいて、国連は切れ目なく関与し、紛争解決の

ために努力すべきだという考えを打ち出している。

そしてすべてに関与するのが「和平調停」(Mediation)であり、この三つの全ての局面に関わる

外交努力とされている。

冷戦終結により、国連の和平調停活動への期待が高まったことを受けて、「国連政務局」が一

九九二年に設立され、二〇〇六年には、国連政務局の中に、和平調停を専門に担当する「調停

支援ユニット」が設置された。

著者はちょうどこの頃に、国連の和平調停や「平和構築」に関する現地調査を本格的に開始し

ている。

その後、「調停支援ユニット」は、二〇〇八年に「和平調停スタンバイチーム」を立ちあげ

た。これは、常時七人程度の和平調停の専門家を国連が年間契約で雇用し、必要な場所にただ

ちに派遣して、調停活動を支援できるようにしたもの。スタンバイチームの、メンバーの多く

は、憲法をはじめ法律の専門家や、紛争地域の出身でその言語を駆使して調停に参加できる大

学教授、NGOの幹部として水や土地を巡る紛争の調停をしてきた人々などである。

このチームは、国連事務総長によって任命される国連特使のチームに派遣され、国連特使と協

力しながら和平調停を進めていく。長くなるので具体的な活動やその経緯は省くが、国連加盟

国の側でも、和平調停を積極的に支援していこうとする動きが始まり、二〇一一年には国連総

会決議が採択されている。

和平調停が関わる三つの段階のうち、最も成果をあげているのは、第三段階の「平和構築」の

分野であるという。

これは米国のランド研究所の少し古いデータだが二〇〇五年に出したレポートによれば、国連

が主導した「平和構築」(国家再建)活動のうち、成功したと考えてよいのは、約三分の二であ

るという。

他方、第二段階の紛争が起きている段階の「和平交渉」における国連の和平調停は、極めて厳

しい状況が続き、そして最も成果をあげることが困難なのが、第一段階の「紛争予防」におけ

る調停活動であるという。

詳細は省くが、その大きな要因として、実際に軍事紛争が始まる前に、国連安保理がその国の

問題を話題にしたり、国連事務総長が特使を派遣すること自体を、「自分たちの国が紛争の危

機に瀕していると議定されることは心外である」として、現地政府が拒否をするケースが多い

のが現実であるという。「紛争予防」の段階では、国連が関与するのが難しい。

本書ではイエメンの事例を取り上げ、その難しさについて考察している。

ステファン・ステッドマン(スタンフォード大学教授)

ぼくが本書を読んでいて最も瞠目させられたのは、「ステッドマン・セオリー」を紹介してい

る箇所である。これはかなり参考になった。

「ステッドマン・セオリー」とは、米国スタンフォード大学の教授であるステファン・ステッ

ドマンが一九九六年に発表した論文で提示したものである。

その論文では、「一九〇〇年から一九八〇年の間に起きた軍事紛争のうち、「和平交渉」によ

って外交的に終わった内戦はわずか一五パーセントしかなく、残りの八五パーセントは、一方

的な軍事勝利で終わっている。

他方、同じ時期に起きた国家間の戦争のうち、五〇パーセントが「和平交渉」で戦争が終結し

ている。

つまり内戦は、国家間の戦争よりもはるかに「和平交渉」による終結が難しい」と主張した。

なお、ステッドマン教授は当時のアナン事務総長が主催し、二一世紀の安全保障の問題につい

ての国連のあり方を議論した賢人会議にも招かれている。二〇〇四年には、賢人会議が出した

レポート「より安全な世界のために−私たちが共有する責任」の主要な執筆者でもあったとい

う。ちなみにこの会議には、日本から緒方貞子氏も出席している。

そしてステッドマン教授は、内戦が外交努力による終結が難しい理由として、主に三つあげて

いる。

①内戦は、多くの場合、相手か自分がやられるまで戦うという、全体戦争である。

つまり、内戦の戦闘指導者の多くが、相手を壊滅させ、完全な軍事的な勝利を獲得するまで戦

争を続けようと考えている。

②仮に紛争当事者が、限定的な目標を持ち、妥協してもよいと考えたとしても、相手に対する

非常に大きな「不信」や「恐怖」があり、はたして相手が、本当にこちらの壊滅を目指してい

ないのか、難しい判断を迫られる。

③内戦を政治的に解決する場合、紛争当事者が軍備解体し、一つの政府と一つの軍隊を作る必

要が出てくる。

上のような相互不信があるなかで、これを受け入れられない紛争当事者が数多くいる。

これらの理由で、軍事的勝利で決着がついてしまう場合が多い内戦だが、ステッドマン教授

は、二つの場合、それでも和平合意が成立する可能性があると主張している。

①このまま内戦が続いた場合、膨大な人的な被害が出て、共倒れになるという恐怖が高まった

場合。

②政治的な合意をした後の結果(当事者の安全、国政への参加等)についての猜疑心や恐怖心が

少なくなり、合意することへの安心感が増した場合。

特に、和平合意案で、将来の民主的な選挙が約束された場合、その選挙自体が公平で公正であ

ると信頼できれば、政治的な解決は受け入れることが容易となる。また、たとえ最初の選挙で

負けても、野党として政治的には存立でき、その後の恣意的に逮捕されたりせず、二回目以降

の選挙にも、まっとうな形で参加できると考える状況になれば、和平合意を結ぶ可能性が高ま

ると、ステッドマン教授は主張したという。和平合意の可能性を高めるための国連や第三国な

どの国際社会の役割にも言及しているが、

①紛争当事者への武器禁輸などを行って、一方的軍事的勝利が難しいと当事者に思わせるこ

と。

②和平合意が実施された後、当事者の安全確保や、公正な選挙の実施について、第三者として

監視を行うなど、紛争当事者の将来への不安をなるべく少なくすること。

などが可能だとしている。

ステッドマン教授は、「国連には仲介する十分な機能はなく、和平調停に関わるべきではな

い」とする意見について、「あまりに国連に辛辣すぎる」と退けているという。他方で、周辺

国などが協力的でないときには、国連は機能を果たせないと明確に主張している。

そしてステッドマン教授は「内戦に関わる関係諸国が、どのようにその内戦を終えるかについ

て、コンセンサス(同意)を持ち、一枚岩になったとき、はじめて国連は、その内戦終結に向け

た仲介者として役割を果たすことができる」としている。

このような状態になったときに国連は役割を果たせるというのがステッドマン教授の結論。

著者は、二〇年以上前に提示されたこのステッドマン理論は、現在でも有効だと考えている。

「紛争当事者が軍事的勝利を目指すため」というのは、シリア内戦にも当てはまるし、「和平

合意した後に、合意が実施されず壊滅させられるのではないかという不信や恐怖」は、南スー

ダンにも当てはまると指摘する。

しかし、ステッドマン理論は今だに有効ではあるが、「どんな主体が「和平交渉」に参加すべ

きか」という、包括性の問題も重要であると著者は指摘する。

著者は二〇〇八年に国連PKO局からレポートを出版して以来、和平合意後の「平和構築」の段

階では、①国連の役割、②包括的な政治プロセス、③人々の生活やサービスの向上(平和の配

当)、④強制力(警察や軍)の整備、の四つが重要だと主張してきたという。

特に、これまでの議論では、③人々の生活のサービスの向上(平和の配当)と④強制力(警察や軍)

の整備が強調されたが、それに加えて、①の国連の役割や、特定の民族や部族や政治勢力を排

除しない②の包括的政治プロセスこそが、「平和構築」の成功にとって極めて重要だというの

が、著者の「平和構築」に関する主張。

しかしこの包括性の問題は、和平合意後の「平和構築」の段階と、まだ戦火が続いている紛争

下の「和平交渉」の段階とでは異なる性質があり、後者においては、より柔軟な対応が必要な

ケースが多々ある考えている。

和平調停における包括性の問題に関しては、第三章で南スーダンとアフガニスタンの和平プロ

セスの課題のなかで具体的に説明されている。

著者は紛争後の「平和構築」の段階において「国連の役割」を重要としているが、国連が無条

件に信頼されているとは考えてはいない。しかしそれでも、他の大国が国家の再建(平和構築)

において大きな権限を持ってしまうと、現地の人から、新植民地主義ではないかと疑われてし

まう。その意味で、国連はまだ公平で公正という比較優位を持っていると主張している。

実際の現地で行ったアンケート調査でもそうだった。

しかし「紛争下の和平調停」においては、状況はかなり異なる。まず内戦中には、紛争当事者

は、グローバルな大国や周辺国からさまざまな支援を得ていることが多い。そうした関係国こ

そが、紛争当事者に対して大きな影響力を保持している。その際、周辺国やグローバルな大国

が、実際には紛争当事者への軍事的・財政的援助を続けつつ、他方で「国連特使の和平調停を

歓迎する」と、表面的には和平合意に向けた国連の活動を応援しているとアピールする場合も

多々ある。このような状況下では、いくら国連特使が関係者を回って調停を繰り返しても、内

戦が止まる可能性は極めて低い。そうなったときに「国連無用論」が浮上し、「国連の濫用」

が起こるリスクも高くなるという。

この国連の濫用が続く限り、国連特使を中心とする和平調停活動は、成功の可能性は極めて低

いものとなってしまう。

「紛争下の和平交渉」に関して、周辺国やグローバルな大国がいかに大きな責任を持っている

か、などは第四章でシリアとイラクのケースを通して考察している。

ステッドマン教授が示したように、グローバルな大国や周辺国が、戦争終結に向けて一枚岩に

なり、和平合意を結ぶような説得を行い環境が整えば、国連も役割を果たせるようになる。

そして主要関係国が「和平交渉」を後押しし、紛争当事者が和平合意を結んだ後、国連安保理

にPKOの派遣を要請し、国連を中心とした「平和構築」を行う。このように、関係諸国が和平

調停を主導し、その後、「平和構築」を国連にバトンタッチしてうまくいったケースも多く存

在するという。カンボジアにおけるパリ和平協定、シエラレオネにおけるロメロ合意などであ

る。

安易な国連無用論に流れるのではなく、国連による和平調停がうまくいかないケースも多々あ

る構造的な原因を認識し、それを解消するためには、周辺国やグローバルな大国の役割が大き

いことを認識する必要がある。そうした認識のなかで、グローバルな経済大国の一つである日

本の役割も見えてくると著者は考えている。

著者はNHKのディレクターとして、国連アフガン支援ミッションの政務官として、国連日本政

府代表部の公使参事官などとして、現場に足繁く通い調査しているが、そこから実感するの

は、中東やアフリカ、南米などで、戦後日本が培ってきた「平和国家」としての信頼であると

いう。その理由を三つあげている。

一つは、第二次世界大戦後、国連PKOなどへの参加を別として、自衛隊を戦争の遂行のために

海外に派遣し、誰かを殺めたりしたことが一度もないという実績。二つめは、日本企業の製品

やサービスに対する確かな信頼や安心感。三つめは、日本の大使館やJICA、NGOなど、途上国

支援に携わる人たちが、相手を見下すことなく、パートナーとして支援を進めてきた歴史的な

積み重ねからくるもの、をあげられている。

著者はこうした信頼を活かして、今後日本は、世界の各地で起きている紛争の現場で、異なる

民族や部族、政治努力の対話を促進し、紛争解決に貢献するような、「世界の対話促進者」と

しての役割を果たすことを、外交目標に掲げるべきではないかと考えている。

著者はこれを「グローバル・ファシリテーター」と呼んでいる。

本書は篠田英朗氏が『国際紛争を読み解く五つの視座』の中で述べていた、「紛争解決とは矛

盾の解消であり、平和構築とは矛盾の管理である。しかし解決したり管理したりするために

は、どのような矛盾が存在しているのかを分析しなければならないのである」ということも示

されている。篠田氏は読売新聞で本書を書評されてもいる。

そして、本書を読んで国連においても、キッシンジャー流「交渉の基本3原則」が重要だと感

じた。

①戦略へのズームアウトと、交渉相手へのズームインを繰り返し、絶えず両方の見方を統合す

②基本的前提を何度も見直す

③交渉のテーマに精通する(あるいは、テーマに精通したチームを持つ)

それと著者の主張とは正反対ではあるが、エドワード・ルトワックの一九九九年に「フォーリ

ン・アフェアーズ」に掲載された論文「戦争にチャンスを与えよ」の中で指摘されていること

も頭の片隅にはある。その主張は具体的には書かないが、「押しつけられた休戦は、(その後に

和平交渉がなされなければ)人為的に紛争を凍結することになり、平和につながる敗戦の否認を

劣勢側に許し、戦争状態を永続化させてしまう」「「無関心で安易な介入」が戦争を長期化さ

せる」「ほとんど機能しない平和維持軍」「難民支援が紛争・難民を永続化させる」「国連よ

り害悪のあるNGOの介入」などであり、『戦争にチャンスを与えよ』の第二章に収録されてい

る。これだけ読んだら過激に聞こえるかもしれないが、長いスパンで見たときのルトワック流

の平和論である。

その話はともかくとして、本書では著者の意気込みも感じるし、心意気も大いに感じる。

平和主義国家日本を実現するために実地に行動され尽力されている。

その姿に猛烈に感銘を覚えるし、熾烈に「自分なんて何もしていない」と自分の不甲斐なさも

感じる。それがとても良かった。

著者は「はしがき」の最後に本書に関して次のように書いている。

「本書が、「どう戦争を克服するか」という命題について、みなで考える第一歩になってくれ

れば、望外の幸せである」。

最後になるが、本書では国連アフガン支援ミッション(UNAMA)の初代代表を務め、後に国連シ

リア特使、イラク特使を務め、「国連の問題解決人」(トラブルシューター)と呼ばれているブ

ラヒミ氏の重要な言葉も紹介されている。

「国連も含め国際社会は、つい傲慢になる誘惑にかられるものです。

現地に赴き、現地の人たちに対して「あなたたちより、私たちのほうがどうすべきか知ってい

る」とふるまってしまう誘惑です。しかし私は、そんな態度は取りません。どんな場所に行っ

ても、現地の人たちこそが、何が最も大事なことかをわかっています。それを実感するために

努力するのが我々国連の役割です。我々のやり方を、現地の人たちに押し付けてはいけないの

です」

ブラヒミ氏は、紛争後の国家再建に携わる上で常に自ら戒めているという。

紛争地域におけるコロナウイルス(COVID-19)も心配だ。