「道教とは何か」のアウトラインを書いている | 『道教』アンリ・マスペロ


白川静によれば、「道」とは、首を携えて行くところの意で、その首は、おそらく異族のもの

であり、外に通じる道は、守護霊の支配する地域の外では、知られざる世界に属しており、邪

霊の住む、あるいは異族神の支配するところである。

それでその異族を犠牲とすることによって、はじめて安全に通行することができる、と示され

ている。

道教は「道」の教えであるといわれ、「道」をたっとぶ宗教だといわれている。

フランス人のアンリ・マスペロ(1883-1945)は、西暦初頭数世紀の道教の歴史と文献を学問的

にさぐろうと企てた最初の人であり、当時は、洋の東西を通じてほとんど唯一の人であったと

いわれている。本書の原著の出版はマスペロ没後の一九五〇年で、出版された当時は欧米の学

界に大きな刺激を与えたという。邦訳されたのは一九六六年で、東洋文庫の一冊として再刊さ

れたのは一九七八年。

そんな「道」をたっとぶ宗教に興味を持ち、いまでは古典のような位置づけにされているマス

ペロの『道教』を手に取ってみた。勿論、本書一冊を読んだだけで道教を理解したと思わない

が、その複雑な道教のアウトラインみたいなものは書いてくれているので参考にはなる。

アンリ・マスペロ(1883-1945)

『空の思想史』で立川武蔵氏は、中国人は眼前のものの存在を疑わず、ものがあるところから

すべてを始める、と指摘し、『儒教とは何か』の加地伸行氏は、中国人は現実的・即物的だとよ

くいわれるが、その根本理由は表意文字である漢字にある、と述べている。

表意とは、物の写しのことであり、まず先に物があり、それに似せた絵画表現として漢字の字

形が生まれる。「はじめに物ありき」。なので、形而上的世界よりも形而下的世界に中国人の

関心が向かうようになる。

そして、こういう構造から、中国人はものごとに即して、事実を追って考えるという現実的発

想になったのである、と加地氏は指摘している。

さらに続けて、中国人はこの世しか世界はないと考えるので、死はたいへんな恐怖となる。

その死の恐怖を納得できる説明を行って成功したのが儒教〈儒〉だった、とも述べている。

道教は信者を「永遠の生」に導こうとする救済の宗教。『道教の世界』の菊池章太氏の言葉に

言い換えれば、この世への執着を大事にし、この世にありつづけようとする。

道士たちは「長生」を求める場合、それを精神の不死としてではなく、肉体そのものの物質的

な不死として考えた。

道士たちにとって生きている身体の保持ということが、常に不死を得るための正常な方法とし

た。問題は、死すべき身体を延命させることというよりも、生きているあいだにこれを不死の

身体にとりかえること、死すべき器官に次第にとってかわる不死の器官―皮膚や骨など―を身

体そのもののなかに生み出し、これを発展させることであった。

そして、そこまで到達した道士は、死なずに「白日のもとで天に昇る」とされた。しかし、実

際には、他の人々と同様にみな死んでゆくのは、だれにでもすぐにわかることだった。

そこで考えだされ、普通に認められた解釈では、死が日常の出来事であるような人間社会を混

乱させないために、不死になった人は死んだふりをするのだ、とされたという。

かれは普通の儀式にしたがって埋葬される。しかしそれは偽りの死にすぎなく、棺におさめら

れるのは剣や杖であって、かれはそれに屍体のあらゆる外見をあたえておく。

真の身体はすでに立ちさって、永住者[仙人]たちのなかで生きている、とした。

これが「尸解(しかい)」といわれるものであり、白川静によれば、「尸」は屍体やかたしろを

示す字で、横臥する形であるという。

生きているあいだに不死をかちとって、これを確保したいと切望する道士は、身体を不死なる

ものに変える必要から、多くのさまざまな義務を課した。これらの実践は二つの術に分けられ

る。

物質的な面では「養形」であり、それは、物質的な身体の老衰と死の原因を陰去し、身体その

ものの内部に、不死をうけた胚芽をつくりだすことであって、この胚芽が凝結し大きくなって

成長しきると、肉体が精妙にして軽くなり、ある不死なる身体に変えるとされた。

これこそが食餌法や呼吸術によって導かれるところであるという。

精神面では「養神」という。それは、人間の人格の統一原理を強め、身体の内部にいる様々な

超越的存在に対してにらみをきかせ、これらの存在―神々や精霊や霊魂―を自己のなかにとり

こんでおくこと。こういう存在を保持しておくことが、生命の存続に必要であるとされた。

精神集中と冥想が導くとされている。

「養形」によって、生存の物質的な支えとしての身体を強化し、「養神」によって、身体に住

むすべての超越的存在を自己のなかに結集しながら、身体内部で生命そのものを長びかせる。

人間の身体は、一つの世界(ミクロコスモス)であって、外界、中国語でいう「天地」(マクロコ

スモス)と同じであるとされていた。なんだかウパニシャッドの梵我一如みたいだ。

人間の身体にも神々が住んでおり、生命はそこへ「気」とともに入ってくる。

この「気」は呼吸によって腹に下り、「下丹田」に閉じ込められている「精」と結合して、

「神(しん)」が生じる。神は人間を指導する原理であり、人の行動をよくもすれば、悪くもす

るし、人に人格を付与しているものであった。

外からきた気と、各人の中に閉じこめられている精との結合によって形成され、死に際してそ

れらが分離するとき、神は消滅する。

なので、気と精を正しい実践によって増大しながら、神を増強しなければならないと考えられ

ていた。

「養神」の方法は、「内観」によって神々と関係を結ぶことであり、それによって神々を身体

の内部にとどめておこうとすることにある。

そして、神秘的合一こそは、身体の不死を与えるだけではなく、道士の生涯の最高目標たる、

「道との合一者」たらしめるという。

マスペロは「外面的宗教生活」と「内面的宗教生活」とを分けて説明しているが、『道教の世

界』の菊池章太氏の説明がわかりやすい。

不老長生をめざして、体のなかに清浄な気をめぐらすことを「行気」と呼び、呼吸によって天

の清気を摂取することを「調息」と呼ぶ。

呼吸にあわせて体を柔軟に動かすのを「導引」と呼び、気功のみなもとであり、二千年以上も

前に導引の図がみつかっているという。

性生活を管理して気を充実させることを「房中」と呼び、房中術は古代中国の性医学であった

という。

心身を清らかにするために穀類を食べないことを「辟穀」と言い、穀類をさける理由は、穀類

は地の気を受けていると考えられ、地の気を養われているかぎり、天への飛翔はかなわないと

考えられたから。上述のように、目指すは不老長生を実現して仙人になるため。

そのためには薬も服用する。それを「服餌(ふくじ)」と呼び、薬の材料は動植物から鉱物まで

の領域におよんでいる。その探究が薬物学である本草を発達させ、漢方につながっている。

薬で最上のものは黄金とされた。金は錆びないし、変化しない。変化しない金を体にとりこむ

ことで、変化しない肉体を得ようとした。「類感呪術(るいかんじゅじゅつ)」のたぐいである

という。しかし金はそのままでは消化吸収されないので他の物質と融合させて服用した。

おもな材料として丹砂すなわち硫化水銀が用いられ、こうしてつくられたものを「金丹」と呼

ぶ。

水銀が原料だけあって危険なので、無理に服用するのはやめにして、体内に金丹を錬成しよう

と考えた。それを「内丹」と呼ぶ。

金丹を錬成する場所は臍の下三寸のところにさだめられるが、それを「臍下丹田(せいかたんで

ん)」という。

体内に気をめぐらせ、冥想によって丹田に精神を集中させることを「存思(そんし)」と呼ぶ。

体内には気の流れる道筋があると考えるが、それを「経絡(けいらく)」と呼ぶ。丹田はこれを

もとにさだめられた。

経穴(けいけつ)に鍼(はり)をさすことや灸(きゅう)をすえることを「鍼灸(しんきゅう)」とい

う。人間の身体に経絡があるように、大地にも気の流れる道筋があるとも考えられ、これを

「龍脈」と呼ぶ。

それを見さだめて、家を建て墓を立て都をつくる場所を選定する。その探究が「風水」。

病を避けるためには呪いも必要であり、災厄をはらうにも呪いが必要である。それを「神呪(し

んじゅ)」という。

悪しき気をしりぞけるには御札も必要であり、悪霊を封じこめるにも御札が必要。これを「符

(ふ)」という。

符を貼り、たずさえ、または呑みこむ。道教の経典を集大成した道蔵には呪文と護符であふれ

ているという。すべては除災のためであり、長生のために行なうこと。

本書のなかで、マスペロも道教の一連の流れを簡単に説明しているが、漢帝国のもとで驚くべ

き成功をおさめて発展し、中国世界が政治的・宗教的に沸騰した六朝時代に、それは最盛期に達

した。しかし七世紀になると、唐代の平和は、精神的にも行政的にも儒教的秩序をとりもどし

たことによって、道教に致命的な作用をおよぼした。また、仏教が張り合ったことも同様な効

果を生んだ。

道教は、しだいに一般大衆に対する影響力を失い、ただ専門的な修道者のための宗教と、巫師

の行なう祭祀にしかすぎないものになってしまう。

そしてこれにつづく数世紀のあいだに、何人かの偉大な道士たちの名声によってもたらされた

華々しさにもかかわらず、道教はこのとき以来、長い衰退過程をたどりはじめ、今日の瀕死の

状態にまで行きつくことになった。

前漢時代の初期には黄老(こうろう)と呼ばれる道家の一派が勢いづいていた。

黄老とは、黄帝と老子をいっしょにした名であり、神話の帝王である黄帝をたてまつる集団

が、道家と結びついたもの。

黄帝が作ったという経典は一括して「黄帝書」と呼ばれる。黄帝思想の衰退とともに黄帝書も

消滅したため、その実態は長く知られなかった。

しかし、一九七三年に出土したなかに、黄帝書とおぼしき文献がいくつか含まれていた。

その後の研究によって、黄帝書の内容が検討され、黄帝思想の全貌がようやく解明されつつあ

り、黄帝をたてまつり、黄帝書をありがたがる人々の思想は、古代の天道思想にまでさかのぼ

るという。

その荷いては周王朝の史官であった。

その思想は、天体観測によって得られた天界の規則性に注目したものであり、天の運行は多様

な変化を示すが、それを包みこむ大きな秩序が存在する、と考えた。

それこそは天が人間に示す大いなる法則であり、人はこの法則にのっとって社会を営まねばな

らない。すなわち、天の秩序に照らして人間社会の問題を考えようとする思想であった。

黄帝書をありがたがる人々は宇宙を主宰する「天」をたっとび、『老子』をありがたがる人々

は世界の原理としての「道」をたっとぶが、やがて「黄老」といっしょくたに呼ばれる思想集

団が形成されていった。

その信奉者は宮廷内部にもたくさんいて、この傾向は、武帝の時代のはじめまで続いたとい

う。(『老子神化』菊池章太による)

マスペロも黄帝を説明しているが、黄色は五行の中央にあたる第五の方位に対応する色であ

り、「黄」は中央の優越という思想に対応している。

「老」のほうは、この言葉はただ人間の不死を示している。なので、黄老という言葉は根本的

には、最高の主である仙人を意味していると説明している。

二世紀後半、後漢の桓帝(かんてい)の時代、許慎が『説文解字』を著したころには、

「太上老君」や「太上道君」といった、老子をモデルとした“タオの神々”がやたらに生まれた

という。老子神格化。(『山水思想』松岡正剛による)

桓帝の時代、黄老思想は、すでに政治の表舞台から姿を消していた。

この時代は宦官が跋扈した時代であり、前漢以来の中央集権体制がくずれだし、各地の豪族が

勢力をのばし、民衆の反乱もしきりに起きている。

このような社会不安のなかで、桓帝は国家祭祀の対象ではない老子をまつっている。

しかも、老子の故郷とされている陳の苦県に廟を建て、その翌年に宮中で老子を派手にまつっ

ている。

桓帝は黄帝やお釈迦様もまつったみたいだが、『後漢書』には桓帝が「神仙を好んだ」とある

という。ちなみにマスペロは、漢代の仏教が最初の信者を得ることができたのは、道教社会に

おいてであったと指摘している。

松岡氏によれば、なぜ老子が浮上したのかといえば、西域から仏教が導入されたことが刺激要

因となり、老子が釈迦に対抗させられたと説明している。

これを道先仏後のイデオロギーといい、こうして六世紀、老子は道教の最高神「元始天尊」に

まで昇格していった。

さらにそれに続いて、魏伯陽(ぎはくよう)が「易」を復興させ、その著『周易参同契』によっ

て、陰陽二気の爻をもとにシステム化をはかった。これが八卦などになる。

易は必ずしもタオイズムと直接は結びつかないみたいが、自然や人為に「象」(シンボルとして

のかたち)を見るという気風をつくる大きな踏台になったという。

そして、こうした機運を背景に「太平道」や「五斗米道」が起こってくる。

太平道は干吉(かんきつ)が道書『太平清領書』を著してこれを読経し、符水(ふすい)をつくっ

て民衆の病気を治すことを端緒にしている。

やがて張角が『太平清領書』を読んで影響を受け、みずから大賢良師と名のって活動し、干吉

同様に病気を治しはじめた。

張角は病気治癒のうわさに集まる民衆を信徒とするうちに、武力によって後漢を打倒すること

をおもいつく。

信徒もこれによく従い、反乱はしだいに大きくなり、これが後漢末に有名な黄巾の乱。

反乱の徒は全員が黄色のコスチュームを身にまとい、「蒼天すでに死し、黄天まさに出ずべ

し。年は甲氏にあり、天下大吉」というスローガンだったという。

おなじ頃、張角とは別に張陵という者もあらわれ、蜀の鶴鳴山で修行し、長生法と金丹術を会

得して、病気を治し、やがて人々の信仰を集めるようになっていた。

信徒になるにあたっては五斗の米を寄進させていたので、五斗米道と呼ばれている。

張陵については、『神仙伝』や『魏志』などのあいまいな記述しかなく、はっきりしたことが

わからないみたいだが、張陵の子の張衡(ちょうこう)や、孫の張魯(ちょうろ)になると、その

活動が歴史的にもはっきりしてくるという。

五斗米道の名称は、孫の張魯の時代に広まり、しだいに「天師道」とも呼ばれるようになって

いく。張魯はみずから天師を名のっていた。

その張魯は太平道とならぶ中国史上初の道教教団のリーダーとなり、のちに書聖とうたわれる

王羲之親子も、五斗米道の熱心なメンバーだったという。

先述した松岡氏によれば、こうして、タオイズムが結団道教というかたちをとるにつれ、人々

の口に「気」を議論する趨勢が強まっていったという。「道」が「気」を生むと考えるのがタ

オイズムだったと。

マスペロも集団礼拝の宗式は黄巾とともに生まれ、それが後継者にひきつがれていったと述べ

ている。

さらに続けて松岡氏によれば、その一方で老荘思想も広まっていったという。

漢帝国を支えた指導原理は儒教であり、その社会を支えたのは官僚制であった。

そんな官僚社会に背をむけた連中もおり、さこに老荘思想が生きてきたという。

それは人々に無為自然の状態、「自ら成る」という状態を憧れさせ、「道を友として遊ぶ」と

いう思想が生きてくる。

ここに登場したのが「隠逸の士」または「逸民」だったという。この逸民たちが「気」と「山

水」を初めて結びつけた、と松岡氏は指摘する。

そして三国時代には、こうした山水隠遁を企てる者たちが続出し、「竹林の七賢」の名で知ら

れる阮籍や嵆康であったという。マスペロも嵆康と竹林の七賢をとりあげている。

『老子』を最初に聖典として重んじたのは、五斗米道であるとされる。

今日では見なされていないが、初代の張陵もしくは張魯が、信者のために『想爾注(そうじちゅ

う)』という『老子』の注釈を書いたとされていた。

『想爾注』は敦煌写本によってのみ、その存在が知られ、原本の成立年代については議論が多

く、いまだに決着がついていないという。

その『想爾注』では、老子が「太上老君』で登場するという。

それは、宇宙に満ちている「気」が固まってできてものであり、「気」が結集して「一」にな

ったものが「道」であり、それが目に見えるかたちとなって現れたのが太上老君である。

太上老君とは、「道」であり「一」。

先にも触れたが、マスペロもこの辺りのことを「道との合一者」とそれとなく説明していた

が、先述した菊池氏のほうが上手く説明している。

人はこの「一」である状態を保ち続け、永遠の「道」と一体となることができれば、ついに朽ち

はてることのない命を得ることがかなうとした。これはいずれの道教の核心となる考え方。

宇宙に満ちている「気」を、身体という少宇宙にめぐらすことによって、おのずから不滅にな

ろうとくわだてた。

そのためには、体の外から「気」を取りいれることも有効とされ、体操や呼吸法、呪術にいた

るまで、さまざまな方法が考えだされていった。気功や太極拳も原点はここにある。

「一」は「道」である太上老君は、道教の神々の中で至高の存在としてまつられた神格であ

り、この時点ではすでに老子の神格化が次の段階に入っており、南北朝時代の道教へと連なっ

ていくという。

四世紀初め頃ごろ葛洪(かつこう)が著した『抱朴子』には、長生きしたければ「一」を守るべ

し、とあり、その「一」とは『老子』のいう「道」に他ならない。それは「老君」の説くとこ

ろであるという。

後に中国が再統一されるころに、太上老君から元始天尊へと交代する。

「道教、つまるところ救済の宗教である・・・

かれらが獲得しようとしたこの「不死の生」なるものを、道教徒たちは精神の残存という形で

考えなかった。つまり、非物質的な霊魂が死後にも人間の人格を継承するさだめであるとは考

えなかったのである。

かれらにとって、不死の生とは物質的な肉体、すなわちこのわれわれの死すべき身体が、適当

な方法によって死を免れ、金の骨と玉の肌をもった不死の身体に変形して生き残ることであっ

た。・・・中国人は神の世界においてさせ、官吏となるより以上の幸福を思いつかないのである」

(本書)

本書は西暦初頭数世紀の道教に関する未刊の「中国六朝時代人の宗教信仰における道教」

「詩人嵆康と竹林七賢のつどい」「西暦初頭数世紀の道教に関する研究」三篇と、一九ニニ年

にマスペロが発表した論文「老子と荘子における聖人と生の神秘的経験」が再録されている。

アンリ・マスペロは最初、ヘレニズム時代のエジプトの財政組織について研究をし、論文を書い

ていた。マスペロの父も有名なエジプト学者であった。しかし、中国学に惹かれて、その研究

に献身し、当時ハノイに設立された遠東学院に入る。

ここで一五年間(1908-1920)を過ごし、中国には数回滞在して、清国の崩壊を目撃している。

マスペロは、一九二〇年以降、一九四四年にナチスドイツに拉致され、翌年にブヘンワルトの

収容所で不慮の死をとげるまで、師のエドゥアール・シャヴァンヌのあとをついで、コレージ

ュ・ド・フランスの中国語学文学の講座を担当した。

その合間には日本にも滞在し、内藤湖南や狩野直喜などに歓待されたという。

マスペロは、ヨーロッパの中国学者として欠くことのできない日本の中国学界の業績を力にす

るために、日本語を学ぶことが絶対に必要だということを、いち早く理解した人の一人であっ

た。日本で行なった講演のいくつかは、フランス語の原稿が「遺稿」のなかに収められている

という。

非業の死を遂げたマスペロだったが、道教を学問的に研究した最初の人であるといわれ、その

アウトラインは残してくれた。マスペロの研究があってこそ、今の道教研究があるのかもしれ

ない。

とにかく道教はややこしく、本書一冊だけ読んで理解できるものではないが、その入口として

は最適なものとなっている。

「気の思想」がどこから立ちあらわれたのかも気になる。

白川静氏によれば、「気」は古く「气」とかかれ、空に浮かぶ三画の線は上部の左端がのぼ

り、下部の右端は下方に流れて、雲のたたずまいを示す字形であり、それは霊的な実在のあら

われであると示されている。

松岡正剛は『山水思想』のなかで、タオイズムを「神仙タオイズム」と「陰陽タオイズム」の

二つに大別している。

二つは截然と区別できるわけではないが、だいたいタオイズムは定義がむつかしく、そこには

あまりに雑多な傾向が習合しているとも述べているが、神仙タオイズムは仙道や錬丹術を重視

しつつも、どこかで老荘思想につながっているタオイズムのことをいう。

他方、陰陽タオイズムのほうは陰陽五行の思想を前提に、森羅万象を自然界であれ人為界であ

れ、現象論的に解読してしまおうという、それなりに実用的なタオイズムとしている。

さらに、そこから独自に言い換え、「オーバーコードの神仙タオイズム」「アンダーコードの

陰陽タオイズム」というふうに見事にあらわしている。

ところで、毛沢東は「不均衡から均衡へ、さらに不均衡へと、周期が無限にめぐる。しかし、

どの周期もわれわれにさらに高度な発展をもたらす。均衡が一時的、相対的であるのに対し、

不均衡は常態で、絶対的である」と共産主義を掲げたとはいえ、面白いことを書いている。

立川武蔵氏や加地伸行氏の指摘の通り、中国人は眼前のものの存在を疑わず、ものがあるとこ

ろからすべてを始める現実的・即物的な人たち。なので尖閣諸島や南シナ海がチャンスとあら

ば、後先を考えずに平気で奪いにくる。

中国人には「無常」や「空」を理解できず、この世への執着を大事にし、この世にありつづけ

ようとする。儒教もそうだが、道教もそれをよくあらわしているということであろう。

これから長い時間をかけて、他のものと並行しながら道教もつまんでいきたいと思っている。

仙人とは、ふしぎな術により、また魔法の霊薬の発見により、永遠に生きる力を得たもので、

鶴の背に乗って白昼の空を飛行し、神秘的な仲間同士の秘密の会合に加わって日を暮らしてい

るものである。

『東洋の理想』岡倉天心

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アンリ・マスペロ 平凡社 2006-11
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アンリ・マスペロ 平凡社 2001-1-11