イギリスや日本と同様に、米国には海によってのみ接近することができるということを思い出すと、我々自身の国境を守り、現在二つの主要な要素、すなわちモンロー主義と門戸解放を柱とする我々の対外政策を維持するためには、我々の力を主に海に基礎づけなければならないということに気づきそこなったりすることはほとんどないだろう。
『海戦論』「政治発展による海軍政策と海軍戦略の偏向」アルフレッド・セイヤー・マハン
国際システムには、国家を互いに恐れさせる要因が三つある。
1 世界の国々の上に存在し、全世界の安全を守ってくれる中心的な権威が存在しない。
2 どの国家もある程度の攻撃的な軍事力を持っている。
3 国家は互いがそれぞれ何を考え何をしようとしているかを完全には把握できない。
これらの要因により、すべての国家は決して拭い去ることのできない恐怖心を持つのであり、自分たちが他国よりも国力を上げれば「自国の生き残り」の確率を高くすることができると考えてしまう。
『大国政治の悲劇』ジョン・J・ミアシャイマー
外交政策を安定させるためには、それを権力政治の実情に合わせるだけではなく、その国が世界の中で占めている立ち位置にも適合させる必要がある。一国の安全保障の問題は、地理的位置関係と軍事力の中核となる国との関係で決まってくる。国際社会では戦争は政治の道具、国土は軍事基地であり、軍はそこを拠点に出撃し、「平和」と呼ばれる休戦中には次の戦争に向けた準備を行う。各国はその地理的位置に即して戦時には軍事戦略を、また平時には政治戦略を実行しなければならない。
『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン
スパイクマンが『米国を巡る地政学と戦略』(“America’s Strategy in World Politics”:1942)を世に問うた目的は、旧世界の東半球を度外視して新世界の西半球(南北アメリカ)の安全は確保できる、という誤った孤立主義の前提を正すことだったといわれている。なので本書の冒頭には「モンロー主義から西半球防衛へ」という章を充て、モンロー主義の歴史を概観している。
そんな本書は、真珠湾攻撃からわずか数カ月後に出版されたものであり、地政学や経済を含む国際政治や、それらを踏まえた上でアメリカの戦略を謳っている。くどいようだが、社会科学的な手法を駆使したスパイクマン自身の手による唯一の著作となっている。ちなみに『平和の地政学』(“The Geography of the Peace”)は、スパイクマン没後の1944年に、スパイクマンの助手だったヘレン・ニコールが講義用ノートなどを没後にまとめた短い体裁となっている。
その『平和の地政学』では、地理的条件が国際関係を決定するという色彩が強まり、戦後の世界像に関しても『米国を巡る地政学と戦略』とは明らかに異なり、コロンビア大学教授ウィリアム・T・R・フォックスの主張などの考えが混在していると指摘されている。米英ソの協調などである。
Nicholas J. Spykman(1893-1943)と”America’s Strategy in World Politics”(1942)
スパイクマンは1893年10月13日にアムステルダムで生まれている。オランダ最古の理工系大学である工科大学(現・デルフト工科大学)とカイロ大学で学び、ジャーナリストやオランダの外交官補佐としてエジプトや蘭領東インドでの勤務経験を積んだ。そして1923年にカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得し、翌年にはイェール大学の助教授に迎えられた。1928年には米国市民権も獲得し、同年には教授に昇格。そんなイェール大学では国際問題研究所の創設に関わり、1935年に研究所が設立された時には初代所長に就任している。何故、研究所を設立したかといえば、当時からスパイクマンは、ドイツなどヨーロッパのファシズム諸国がやがてアメリカの安全を脅かすといち早く推察し、研究を通じてアメリカ外交に影響を与えるためだったという。
華麗なる経歴で、当時の国際情勢を抜かしたら、順風満帆の人生を送っていたスパイクマンだったが、第二次大戦中の1943年6月がんのため49歳で死去した。日本以外ではオランダ風にスピークマンと呼ばれている。
本書『米国を巡る地政学と戦略』で展開されているスパイクマンの新旧両大陸の地政学的認識
「もし欧州とアジアにある米国の同盟国が敗れたら、西半球は3方向から包囲されることになる。そうなると米国は西半球の防衛に徹し、海洋交通手段である沿岸航路の護衛に尽力することになる」(『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン)
「西半球は太平洋、北極海、そして大西洋の3つの大洋を挟んで旧世界に囲まれている。ただし地球は球形であるので逆も真、つまり新世界も旧世界を包囲している。この地政学的重要性を規定するのは、新旧両世界の潜在的国力とそれぞれの領域内での軍の配置である」(『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン)
左からHalford Mackinder、Alfred Thayer Mahan、Karl Haushofer
そんなスパイクマンに強い影響を与えたといわれている人物が3人いる。マッキンダー、マハン、ハウスホーファーである。特にスパイクマンは「マハンのシーパワー理論を用いて、イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーのランドパワー理論を修正した」とも指摘される。
米国の海軍士官であったアルフレッド・セイヤー・マハンは主著『海上権力史論』(“The Influence of Sea Power upon History, 1660~1783”)の中で、諸国家のシー・パワーに影響を及ぼす主要な条件を、①地理的位置、②物理的形態、③領土範囲、④人口、⑤国民の性格、⑥政府の性格、を羅列していたが、本書でのスパイクマンは驚くほどマハンのシー・パワーの理論に類似した論述を展開している。
「海が国境となったり国を囲んだりするだけでなく、二つ以上の地域に一国を分断するときには、その海を管制することが望ましいだけでなく、決定的に重要である。こうした物理的条件は海洋国家に命と力を与えるか、その国を無力にする」(『海上権力史論』アルフレッド・セイヤー・マハン)。
「米国は世界でも、他に見られない位置を占めている。領土は北半球の陸地の上にあり、大陸としての特徴を有しており、これがもたらす経済的利点の全てを伴っている。2つの海洋に面している米国は、主要貿易航路の利用が可能である。人口が集中している西欧と東アジアの間に位置していることは、米国が経済的・政治的に、且つ軍事的に重要な2つの地域の間にあることを意味している」(『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン)
スパイクマンのリムランドセオリー
マッキンダーが、「東欧を制する者はハートランド(ヨーロッパロシア・シベリア・中央アジア)を制し、ハートランドを制する者は世界島(ユーラシアとアフリカ)を制し、世界島を制する者は世界を制する」として、イギリスなどの海軍国が陸軍国による世界島支配を阻止すべきだ、と主張したことは有名だ。対してスパイクマンは、ハートランドよりもユーラシア沿岸部のほうが、人口増加や工業化のなどによって発展する可能性があり、尚且つ海にも面しているので、西半球への影響が大きいと指摘する。
「ユーラシア大陸中央部と円周状の地上交通路帯の間には、やはり大きな同心円状に緩衝地帯が広がっている。これには西欧・中欧・近東の高原地域、トルコ、イラン、アフガニスタン、チベット、中国、東シベリア、アラビア半島、インド半島、ビルマ・タイ(インドシナ)半島が含まれる。地中海南岸のエジプトとカルタゴ、豪亜地中海南岸のスマトラ島やジャワ島の初期文明を除く、世界の偉大な文明の全てがこの緩衝地帯で発展した」(『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン)
ちなみに、「豪亜地中海」とは南シナ海のことである。そして、「大きな同心円状に緩衝地帯」を『平和の地政学』では〝リムランド〟(周縁地帯)と名付けた。「リムランドを制する者はユーラシアを制し、ユーラシアを制する者は世界の運命を制する」という有名なテーゼがここで浮上する。
上述のようにスパイクマンは、新世界の南北アメリカ大陸が、旧世界のほかの大陸(ユーラシア・アフリカ・オセアニア)に包囲されていると喝破した。そこで、リムランド全体を支配する覇権国または同盟が現れれば、アメリカの安全が脅かされると考え、その出現を阻止する国家戦略を主張した。
「仮に旧世界が分裂し、その中で勢力均衡が図られるようであれば、外部の勢力は旧世界の政治活動に決定的な役割を果たす。他方で、もし旧世界の各国が協力して、海洋を越えて行動可能な圧倒的に大規模な軍隊を組織した場合には新世界は包囲され、その抵抗力次第では新世界は旧世界に従属せざるを得ない。このため包囲の可能性は新旧両世界の軍事力や、それぞれが1つの政治主体として、又は連合体として行動できるか否かで決まってくる」(『米国を巡る地政学と戦略』ニコラス・スパイクマン)
そんなスパイクマンの卓越した洞察力が遺憾無く発揮されるのは、地政学的位置づけと勢力均衡を踏まえての「戦後世界」を推察している箇所である。第二次世界大戦の終結直後には、海洋支配を通じて米英両国が大国として君臨することは間違いなく、特に日本の海軍力が殲滅された場合にはそうなる。ただ日本海軍が撃滅されない限りは日本が第三極となる。したがって海軍力を基盤とする米英日の覇権への反応は、陸軍国による対抗同盟の結成となることは間違いない、と主張した。その結果、海軍国に包囲されていると認識し、国力を合わせる必要を感じるドイツ・ソ連・中国は、ユーラシア大陸の力による統合実現に向けて行動するであろう、という認識に至っている。
さらにスパイクマンは「英国政府はドイツが完膚無きにまでに敗れることで、戦争に勝利したソ連軍の侵攻を食い止められなくなることは望んでいない。英国が望む「強いドイツ」の存続という意見は、米国政府も受け入れるかも知れない」ということも達観していたのだが、第二次世界大戦後の国際社会は、6つの大国と多くの小国で構成されると見通してもいる。欧州に限って言えば、欧州合衆国の形成、1〜2の大国による覇権の掌握、勢力均衡が安定しない状況、の3つのタイプがあるとスパイクマンは見ていた。続けてスパイクマンは米国の利益を代弁する論を展開する。それは、米国は欧州連邦の形成を働きかけるべきではなく、勢力が均衡している状態こそが、米国の利益に適っていると怜悧に主張する。もちろん最大の問題は、独ソ間の勢力均衡。
そして我が日本はどうか。アジアはどうか。1942年当時のスパイクマンの推察では、アジアの戦後の主な課題は、日本ではなく中国であると指摘している。中国の潜在能力は日本よりも大きく上回り、いったん軍事力に転化されると、中国大陸沖合の島国である敗戦国日本の立場は極めて危うくなる。近代化に成功して国力を向上させ、軍備を充実させた4億人の人口を擁する中国は、日本だけでなく豪亜地中海(南シナ海)での欧米列強の立場も危うくする。中国はこの豪亜地中海(南シナ海)の大部分を支配するとスパイクマンは断言し、そうなった場合には、この海域が米英日の海軍力に代わって、中国の空軍力によって支配される日の到来も視野に入ってくると論じている。
続けてスパイクマンは、もし極東の勢力均衡を将来も維持するのであれば、米国は英国を保護するために採った政策を、日本に対しても実施すべきであり、片務的な日本との同盟条約締結は賢明な方法ではなく、米国による介入を一般化し、それによって行動の自由を確保することによってのみ、米国は最大の利益を享受し、アジアの秩序と平和の維持を支援することが可能となる、と指摘する。
スパイクマンは日本の真珠湾攻撃からひと月もたたない1941年12月31日のアメリカ地理学会で、戦後日本との同盟を提唱し、怒鳴りあいの議論になったと伝えられているという。スパイクマンの海洋地政学は、戦後の冷戦時代にソ連封じ込め政策の基調となった。封じ込め政策の目的は、ユーラシア工業地帯の一国による支配を防ぐことであった。
本書の翻訳と解説は防衛研究所・特別研究官の小野桂司(おの・けいし)氏が担当されている。余談だが、同氏には『日本 戦争経済史』(2021)という大著も著されている。本書『米国を巡る地政学と戦略』には、その小野氏によるスパイクマンの生涯から本書の特色、戦前日本の地政学の状況なども論述されているので、小野氏の真骨頂を堪能できる秀逸な解説となっている。
「封じ込め」の概念は、私が一九四七年に誠に大胆に提唱したものであるが、それは私や他の人々がスターリン的共産主義の政治的拡大の危険と信じていたもの、そしてとくにモスクワによって指導され操作される共産主義者たちが、ドイツおよび日本という敗北した大工業国で支配的地位を築く危険に対処するものであった。
『アメリカ外交50年』ジョージ・ケナン