『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード・ルトワック



「戦略の世界ではむしろ常識を適用した方が望まない結果をもたらすという、

戦略の逆説的な本質を示すことが本書を通底するテーマとなっている」

(『エドワード・ルトワックの戦略論』)

「戦略は、日常生活の常識的論理ではなく、戦略自体の特別な論理によって支配されている」

(同書)

『エドワード・ルトワックの戦略論』の中での言葉であるが、本書の中でも通底するテーマとな

っている。

本書は、二〇一六年の一〇月に来日した、戦略家・国防アドバイザーなどの様々な肩書きを持つ

エドワード・ルトワックに行った合計六回のインタビューをまとめたものと、論文や講演録を加

えた構成になっている。聞き手・編訳は奥山真司氏。

エドワード・ルトワック 米戦略国際問題研究所 (CSIS) 上級顧問

かなり過激なタイトルなので、昨年に出版された時に話題になったのは記憶に新しい。

タイトルだけみると批判的な意見が多数聞こえてきそうだが、通読すればわかると思うが、

言わんとしていることは、国際政治・軍事に精通した戦略家の逆説的な平和論。

その「戦争にチャンスを与えよ」という本書の表題にもなっている論文だが、

一九九九年に『フォーリン・アフェアーズ』で発表されたもので、本書第二章に収められてい

る。

執筆した動機は、ユーゴスラビアにおける長期にわたる悲劇的な内戦をきっかけとしていると

いう。(それだけではないと思うが)

そこで導きだされた結論が(過去の事例も含む)、国連やNGOや大国による中途半端な人道介入

が、戦争を終わらせるのではなく、戦争を長引かせる。

無理に停戦させても、紛争の原因たる「火種」を凍結するだけ。本当の平和は、徹底的に戦っ

た後でなければ訪れない、としている。

「『戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。

人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる』とい

うことだ。

外部の介入によって、この自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくな

ってしまうのである」(本書)

戦争は、人々にその過程で疲弊をもたらすために行われるのである、として次のようにも述べ

ている。

「人は戦争に赴く時、力に溢れ、夢や希望に満ち、野望に心躍らせているものだ。

しかし、いったん戦争が始まると、今度は、さまざまな資源や資産を消耗させるプロセスが始

まる。この過程で、人々の夢や希望は、次々に幻滅に変わっていく。

そして戦争が終わるのは、そのような資源や資産がつき、人材が枯渇し、国庫が空になった時

なのだ。そこで初めて平和が訪れる。平和が訪れると、人々は、家や工場を建て直し、仕事を

再開し、再び畑を耕す」(本書)

ルトワックは、映画にもされ有名なルワンダのケースを取り上げ、NGOの無責任ぶりを糾弾

している。

「このNGOは、まったく無責任な存在だった。右も左も分からないまま、

『フツ族がかわいそうだ』というだけで、ルワンダから越境してきたフツ族をかくまう難民キ

ャンプを設置し、彼らに食事を提供した。

ところが、昼間に配給された食事で腹を満たしたフツ族は、夜中には国境を越えて、ツチ族を

殺しに行ったのである。

難民キャンプは、国境からわずか三キロの場所にあったからだ」(本書)

その真実を理解していたのが、フランスの「国境なき医師団」で、「このような行為は犯罪行

為である」と主張していたという。

「この紛争は、ルワンダが東コンゴに侵攻するまで終わらなかった。

ルワンダは、コンゴと五年にもわたり戦争を続けることになってしまったのである」(本書)

「難民は、基本的に戦闘で敗れた側の人々によって構成されているので、

そのなかの戦闘員は、基本的に『撤退戦』を行っているに等しい。

ところが、ここでNGOが彼らの支援のために介入することによって、敵側が決定的な勝利を収

めて戦争を終わらせる、というプロセスを構造的に妨害してしまうのである。

さらにNGOは、両者を公平に助けてしまい、互いが戦いで疲弊することから生まれるはずの講

和への動きを阻止してしまうのだ」(本書)

先にも引用したが、ルトワックの主張は基本的には「紛争に介入してはならない」ということ

で、介入しても良いのは、和平合意と難民移住などにかんする責任をすべて引き受ける覚悟が

ある場合だけである、としている。

「『介入主義』とは、現代の大いなる病だ。とりあえず介入するだけの力を持つ国の首脳が、

『人道主義』の美名のもとに、遠隔地のほとんど知識もない地域の紛争に安易に介入すれば、

たとえ善意にもとづく介入でも、結局は、甚大な被害をもたらしてしまう。

すべての責任は、彼らの無知にある」(本書)

その主張と対照的なのは、第七代国連事務総長(一九九七年~二〇〇六年)を務めていた、

ガーナ出身のコフィ・アナンが、その著『介入のとき コフィアナン回顧録』で主張しているこ

とである。(著書のタイトルをみれば違いがわかるが)

「何よりも、全ての国の人びとが個々の生活において他者を助け、どこであろうと不正義と不

平等に対して立ち上がることができる― いいかえれば介入する ― だけの尊厳と機会を持つこ

とのできる場所に、この世界がなることを望む」(『介入のとき コフィアナン回顧録』)

ルトワックと真逆の立場であることが、上の文を読めば明らか。ルトワックは国連に対しても

次のように糾弾している。

「国連が毎回行っているのは、まさにこうした『無責任な介入』なのである。

戦争を止めるために介入し、その責任は負わない。国連は『停戦だ!』と言うだけで、その場か

ら立ち去ってしまう」(本書)

ルトワックは、長期的な視野で、善悪の判断や感情をも度外視して戦争という現象を捉え、介

入してしまえば、朝鮮半島やパレスチナやイラクやリビアなどのように「終わることのない紛

争」になってしまうと、過去の事例を分析して論を展開している。

「このような主張は、一見すると極めて非常識なもの見えるが、実は、戦争の『パラドキシカ

ル・ロジック(逆説的論理)』の根本的な把握や、戦争の唯一有益な機能は『平和をもたらすこ

と』にあり、それを邪魔せずに機能させる必要がある、という確かな認識に基づいているの

だ」(本書)

そして、そのルトワックの真骨頂「パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)」とは何か(戦略

論)を本書中盤で簡単に語られている。

「『パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)』とは、紛争時に働くロジックのことだ。

それは、戦争が平和につながり、平和が戦争につながることを教えてくれる」(本書)

「パラドキシカル・ロジックは、この地球上で、重力の次に強い力を持っている」(本書)

この戦略のパラドキシカル・ロジックは、紛争が発生するところで、必ず発動する、ともして次

のように言及している。

「たとえば、あなたが一〇ドルの収入のうち五ドルを貯めて、それを投資に回す、というの

は、『一般常識の世界』ではよくあることだ。これはこれで、極めて正しい選択となる。

ところが、『戦略の世界』、要するに大規模戦争のような『戦略の世界』では、

いくら『戦術レベル』で大成功を収めたり、戦闘で目覚しい勝利を収めたり、

作戦に成功して『戦域レベル』で相手国領土を占領できたとしても、『大戦略』のレベルです

べてが覆ることがあるのだ。

最終的な結果は、最上位の『大戦略』のレベルで決まるからである」(本書)

そこでは常識が通用せず、逆説的であり、非線形でもあるということなのだが、わかりづらい

と思うので、『戦略の本質』(日本人研究者の共著)のなかで、多少わかりやすく説明されてい

るので、長いが引用する。

「ルトワックの戦略論で注目されるのは、ここに『時間』の概念を導入して、

この逆説的論理をダイナミックなものとしたことである。

彼によると、一定の時間が与えられ、また外部からの実質的な影響がなければ、

戦争においては成功が失敗に、勝利が敗北に、あるいは逆に失敗が成功に、

敗北が勝利に転化し得るのであり、これこそ戦略の逆説的論理の完全な発見であるとされる」

(『戦略の本質』)

「ルトワックは戦略に、技術、戦術、作戦(operation)、戦域(theater)、大戦略(grand

strategy)の五つのレベルを設けている。

彼によれば、どのレベルにも逆説的論理が作用している。

つまり、五つのレベルすべてに戦略があり得ることになる。ルトワックはこれを水平的逆説と

呼ぶ」(同書)

「五つのレベルは階層的なもので、上位のレベルが下位のレベルを規定する。

例えば、技術レベルの兵器は戦闘に使われて、はじめて意味をなす。

戦術レベルの戦闘は作戦の一部であり、作戦は軍事組織全体が関わる戦域の一部である。

戦域レベルは、政治、外交、経済等を含む大戦略の一部である。

だが、技術は戦術に影響を与え、戦域レベルの変化が大戦略の変化を促すこともありうる。

この垂直的逆説は、リデルハートの『手段を目的にではなく、目的を手段に適合させる』とい

う戦略原則にも通じていると考えられるだろう。

ここで注目しなければならないのは、大戦略を指導するリーダーシップである。

戦略の逆説的論理が特定のレベル、つまり大戦略のレベルにとどまらず、すべてのレベルに働

き、しかも水平的にだけでなく垂直的にも作用しているとすれば、

国家のリーダーは大戦略のレベルのみにとどまってはならないことになる」(同書)

本書のなかでルトワックは、私の言う「大戦略のレベル」とは、資源の豊富さ、社会の結束

力、忍耐力、人口規模などに左右される領域であるとし、とりわけ重要なのが、同盟を獲得す

る「外交力」だとしている。さらにそれには「戦略のロジックを出し抜くことはできない」と

いう認識能力の「規律」が物を言うとして、イギリスの例を示し肯定的に捉え説明している。

「『規律』の重要性を自覚していれば、たとえば『当てにならない同盟国しかいないが、

自国軍の能力は高いので、多くの戦闘に勝てる。したがって戦争に勝利できる』

とは考えない」(本書)

「ナポレオンが『ライオン』だとすると、イギリスが集めた同盟は『猫と犬』による同盟だと

言える。しかし、ナポレオン軍一二万人に対して、イギリスが集めたのは、連合軍一一万人、

プロイセン軍一二万人、合わせて二三万人だった。

『猫』と『犬』でも、十分な数が集まれば、『ライオン』を倒すことができるのだ』(本書)

「イギリスは、強力な『規律』を持ち、『戦略』にそれが不可欠であることを知っていた。

『大戦略』のためには、時に極めて不快なことも受け容れる必要があることを知っていたので

ある。ワーテルローの戦いが、その一例だ」(本書)

同じように評価しているのが徳川家康で、次のようにも指摘している。

「徳川家康の戦い方を分析していくと、こうした『同盟』のロジックを知り尽くしていたこと

が分かる。

その典型が関ヶ原の合戦だ。敵の陣営にいた勢力を味方に変えることで、予め負けることのな

い同盟関係を築いていたのである。

家康の優れている点は、たとえ相手が小国であっても、『同盟』の重要性を忘れていないこと

だ」(本書)

戦略の世界では、矛盾するものこそ正しく、線的なものが間違っているとして、

戦略を「生物」として捉えているのが印象的。


その他にも、隣国を理解できない中国、挑発的な北朝鮮、疲弊しているヨーロッパ、国内政治

が混乱しているアメリカ、一〇〇〇年続いたビザンティン帝国の戦略、尖閣や北朝鮮に対して

の日本の対応、日本が国連常任理事国になる方法などを分析し言及されている。

ルトワックの逆説的な平和論には驚くばかりだったが、表題の「戦争にチャンスを与えよ」の

箇所が一番刺激的だったし、平和を構築するのは簡単ではないと改めて実感した。

口先だけの偽善では真の平和は築けない。むしろ悪化させるということだ。

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野中 郁次郎,戸部 良一,鎌田 伸一,寺本 義也,杉乃尾 宜生,村井 友秀 日本経済新聞出版社